ちっちは4月頭に突然連絡もらって、6月から小学校専科話が来て、
登録もしてなかったから
バタバタの突然の準備と準備が整ってない現場入りには戸惑ったけど1ヶ月たって少し慣れてきた😆
毎回思うけど
やっぱりこどもが一番正しい^ ^
そして大人に色々おしえてくれる🥹
今回の気づき🎨(先週)
「ちっちの子どものやりたいことを聞いて見る体験中」のある男の子のはなし。
机の中に教科書が入りすぎて、
図工の時間に算数がしまえなくて、やりにくそうにしている男の子。
(そもそも小学校の机が小さくて、子供の図工には不向き)
先生に片づけなさいと言われている。
片づけない。注意うける。(誤解があると嫌なので、説明。この時の担任の先生は怒ってないです。普通に注意していただけ。)
その子の中で起こっていた、あるいは、このような子どもの現実、今までのパターンをを想像してみた。
片付けたい
けど
とりあえず片付いていなくてもなんとかなる
と思っていたとして、
でもなんとかなると思い込むことで本当にしたいことを
誤魔化してたとする🤣
どどん大人登場。
大人が教えてあげてる!
大人がおらんと子どもはダメ!
机は汚いとダメ!
私の子どもが、私が教えている生徒がダメになるのは嫌、ダメ!
世の中に迷惑かかる!
将来ダメになる!
となる。
子どもの勉強する環境として
机の中や机が汚いとダメ
整理しないとダメ
汚れていいと思わせるとこの子のためにならない
教えてあげないと!!
と。
この時の大人の中では、
大人にとっての目の前の自分の中(常識の中)の「ダメ」「嫌」「ありえないもの」を排除しようとするとする。
汚いものは嫌なので、排除。
時には感情的になり、怒りとなる。
この時の心は、正義に満ち溢れているはず。
だって綺麗な方がいいでしょ。できな。
私のおかげてきな。
子ども
あ、怒られた、怒られたけど、どうしたらいいかわからなかった、わからなくなった、何か、確かに何かあったけど、考えるのめんどくさいなぁ、うまく表現できないなぁ、
モヤモヤするなぁとなりながら、わからないので、
ふわっとする。。
感受性の強い子、いわゆる主張が激しいと言われる子、こだわりが強い子だったら、☟こうかな?
想像してみる。
「もう!わかってないなぁ!!」
「僕たちの思っていることきづいて!」
「受け取ってよ!」
「ダメと嫌を刷り込まないで欲しい!」
「大人の嫌は大人の都合での嫌やろ!」
と怒る🤣
これ、一番本質。
なのに
「大人都合」、「常識」からはなれていて、(手に負えないから)
この子はダメな子、怒られる対象。
もっと言うとグレーだわとなる。(おい、なんでやねんて思う🤣)
こどももそんな現実が受け入れられず、怒りの感情。大人からも怒られる。
こんな嫌な記憶から逃げたい。逃げよう、わすよう、(もっとわからなくなる)となる。
これ、繰り返している子、最近めっちゃ多い。
誤魔化したり、考えることが面倒くさい、逃げて、本来の自分がわかりずらくなる。
本来の自分がわかりづらくなっているので、
怒られてもしっくり来ない。わからないから反省もできない。同じこと繰り返してまた怒られる。
どんどん逃げては同じ現実を繰り返す。
子どもはもともと素直度高いので、これがくりかえされると身体に支障をきたしたり、ビクビクしたり、自分らしくならず、
とりあえず不機嫌になる。
蓋をして、本来の自分が持っているはずの楽しいこと、本当の幸せに気づかない。
結果、
大人の言うことも聞かない、わからない
わかったフリをするだけ。逃げて、ぽく振舞うだけ。日本人に多い気がするする。
さて、話がそれました😆
「ちっちの子どものやりたいことを聞いて見る体験中」の話に戻ります。
その時、ちっちは、
「〇〇くんはどうしたい?」と聞いて見た^ ^
「どっちでもいいー」
と一言。
誤魔化したけど、顔がニヤニヤ😙
あ、これはもう答えでてるな😆
とおもった。
で、
適当に男の子が興味持ちそうな話しながら、しゃがんで同じ目線になって、
どうやったら女の子にもてるか
どうやったらお金持ちになれるか
とかの話と机の中の様子を繋げてみて、、🤣
(嘘の話でもいいし、根拠がなくてもいい)
もう一度「どうしたい?」
と聞いて見た。(やり方間違えるとちょっと遠回しに圧がかかるけど、ま、いいんとちゃうかな笑)
ちっちは君のことがわかってるで
わかってるから話しかけてるで。
そばにいるで。
(圧も半分冗談やで、おもろいやろ)
を感じさせてみた。
そばにいて、話をすること、少し面白く話すことが子どもが素直になることに重要かなと思ったから😆
そしたら、、
その子は素直に自分のやりたいことをし始めた⭐️🙌
「片づけるーあ、そうだ、今日終わったやつ片付けよー」
とニヤニヤしながら片づけて、嬉しそうでした。
子どもって、大人が大人の中(常識の中)の「ダメ」「嫌」「ありえないもの」の排除をして、
感情や言葉をぶつけているか、
大人が大人の中(常識の中)の「ダメ」「嫌」「ありえないもの」に対して、大人自身がどう見るか、どう適応するか、大人が自問自答(内観みたいなことをしてるか)
を見ている。と思う。(子どもは感じやすい)
そばにおる大人が
ちゃんと考えようとしているか?
子供の自分たちのことを見て感じて、それをどう大人の自分たちが捉えられるか?
それにより
大人は考えている。
大人は適応しようとしている。
子供の自分たちも本来の気持ちを出してみようかな。
大人が子供の僕らの本当の気持ちを引き出してくれるかも!?
と感じられたら、自分の周りの世界が安全だと認識する。安心する。
安心すると、ちゃんと素直な自分を表現する。
やるべきことやる😆
この時、
子どもは、大人の期待に応えた!
ではなく
自分のやりたいことができた!
となる。
これがとても重要かなぁと。
そしてそのことが
たまたま大人の中にある感動(潜在意識みたいなもの、もともとある気持ち)につながるだけ
大人は、
私のおかげと思わないで良い。
もともとあったものにきづいただけ。
ただ、嬉しいだけでいいかなと思った。
子どもと接して自分のできること、感じることができるが改めてわかり、幸せだった。
先週の授業では、それを改めてちっちが感じた瞬間^ ^やった😆❤️😆❤️
毎日がスペシャル💓
ありがとうみんな😆❤️
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